雛近


雛人形最短の男
先日雛人形の問い合わせが職場にあったらしく、どうやらここでは私が雛人形に最も近い人間らしいと推理されたそうだ。結局何もこなかったけれど。
雛人形の呪い話なら少しは詳しい、菊人形なら少しは調べた。


■ひきつづきエンバーミング
 エンバーミング情報を次々ともらう。調べてみた。
生ける屍の死 (創元推理文庫) EM(エンバーミング) (幻冬舎ノベルス―幻冬舎推理叢書)
 この技術はアメリカから輸入されたものであり、あちこちで調べていると南北戦争以来の伝統があることも分かる。また各葬儀社が周到にオブラートに包んでこの技術の意義を宣伝していることも分かる。たしかに遺体衛生保存技術と言うと語弊がある。
 私が実体験してみて気になったのは、エンバーミングされた遺体がヴァナキュラー写真と似たような経験をかもし出すからだった。つまり、それは過去のものというよりも、生き生きとした現在を停止させたような妙な感じだとも言うことができる。これについては、フォトグラファーズギャラリーの次の号(4月刊行?)や神戸大の論集(これも4月?)に書きましたし、書く予定です。

■複製写真

Fratelli Alinari: Photographers In Florence

Fratelli Alinari: Photographers In Florence

 ぎりぎりで到着が間に合った本。科研関係で久々に複製写真論の資料を読み直し、追加している。
 以前別のところで議論したトルボット『自然の鉛筆』の議論を見ていると、早くも19世紀半ばには写真の位相が決定的に異なってしまったことが分かる。大量複製品としての写真の可能性を提示しながら、版画や素描との類比を色濃く残していた、受容層も限定された括弧つきの複製写真が、まったくのみもふたもない複製イメージとして出回り始めるのは19世紀半ばからのことである。ここには、さまざまな複製写真出版社の存在が関わっている。そのひとつアリナリ社の成り立ちや、写真の修正技術などもおさえてみる予定である。
無理は承知のこの報告、さっくり書く。