逆説論文


■デジタル1
プロジェクトX 挑戦者たち 第V期 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける [DVD]
こんなのも買う。授業用。とてつもなく巨大なデジタルカメラが出てこないだろうか。
ヴィデオデッキじゃないからそれはないのだろうが。

■デジタル2
 バッチェンの昨日の論文はいくつかのバージョンがあり、最終的にはここにおさめられたものがよくまとまっていた。ざっと訳し読む。
Each Wild Idea: Writing, Photography, History
 バッチェンのこの議論については『心霊写真は語る』所収の論文でも少し言及しておいた。これは、アナログ/デジタルという対立概念が、そしてアナログ写真表象−現実性/デジタル写真表象−すでに記号であるデータという対立が、パースの記号論デリダ的読みによってずらされる論である。
 この議論に較べると、リッチンやロビンスやドラックリーの議論は単純な二項対立のどちら側を採るかという論理構成にすぎない論にしか見えなくなってしまう。事実、デジタル写真の議論のほとんどは、単純な時間軸を設定し、以前と以後に期待と不安の源泉を振り分けるだけの主張に終わることが多い。
 ただし、バッチェンの議論の相対化がどのような方向で実りあるものなのかは考えないとならない。例えば同書の「フォトジェニックス」や「ポスト写真」や「Da(r)ta」という各論文では、そうした方向がそれぞれ示されている。
 例えば、「フォトジェニックス〔写真遺伝子工学〕」では、90年代にコービス社がアンセル・アダムスの写真の電子的複製権を購入した話から議論がなされている。そのまったき同一性を特徴とするコピーのフローを市場において統御することが同社の意図である。
 他方、当のアダムスはオリジナルのネガから1万数千枚の「オリジナルプリント」を作成してしまっている。そのプリントとは、クローンがオリジナルとのまったき同一性ではなく、少しずつ逸脱を孕みながら複製されていく同一で差異をもつものであるのと同様に、写真も諸々のズレた記号相互の同一性と差異の参照関係のなかの運動のなかにある。そのめまぐるしい差異と反復から写真を考えること、これがこの論文の立ち位置である。
しかし、たしかにアナログデジタルという対立をひねって斜めにつなぎ、そのつながりに螺旋を描かせて写真史のなかでの時間錯誤を演じさせるという戦略。納得はするが少し弱いような気がする。

 バッチェンの他の論文は明日に置いておき、マノヴィッチを訳す。これも上記の単線的時間軸上での期待と不安の振り分けではなく、デジタル写真の前提に潜んでいる逆説を指摘する目配りのきいた論文である。
 ひとまず逆説つながりでこの論文を、ド・デューヴの「逆説としての写真」論文とむき合わせてみる。