写真論小史


AIR GUITAR PRO エレキギター レッド
これがほんとのエア・ギター
買おうか悩む。その前にギターを習え。
だいのじネタフルで見たからいえるネタ。

■デジタル
 マノヴィッチ論文をざっと訳す。
 ミッチェルの論に対する小気味よいほどの批判になっている。
 マノヴィッチは写真とデジタル・イメージとの連続性や非連続性のどちらを主張する立場を採るわけではない。むしろ彼はデジタル写真の論理の逆説性を指摘しているのである。簡単に言えば、デジタル・イメージは従来の視覚的表象=再現モードと徹底的に断絶しているが、それと同時にそうしたモードを強化してもいるということである。
 さらにこの逆説性は、次の二つの問題において検討される。ひとつが、両者の物理的な差異についての問題、もうひとつがデジタル・イメージのリアリズムの問題である。
詳細はまた。ミッチェルの猪突猛進の出足をことごとく払って投げる論文。マノヴィッチ自身はもともとグラフィックデザイナーであっただけに投げが早い。

■写真論小史
 このマノヴィッチまでの写真論の系譜をざっとまとめあげた俯瞰的論文が、以前紹介したエルキンス編『写真理論』の序文である。挙げられる固有名詞が、ボードレール、ポー、クラカウアー、ベンヤミン、バルト、シャーカフスキー、バザン、(リチャード・ボルトン)、クラウス、ガラシ、クリンプ、クリストファー・フィリップス、セクーラ、スナイダー、バーギン、メッツ、ソロモン=ゴドー、バッチェン、W・J・T・ミッチェル、そしてマノヴィッチ。これは教科書的なものとして読むべきだろうし、読んで損はない。
これはどこかで部分訳でも挙げた方がよいと思う。
 写真論というとバルトに主観的にいれあげてたゆたうのではなく、それ以後に二段階も三段階も議論が屈曲し、そのうえで写真ないしは写真的なものが目に見えなくなっているということ、あるいはあまりにも過視的になっていること、それが現在の問題だと思う。