熱子と重子


 今日も大学。明日は勘弁させてもらう。

 プロジェクトXデジカメの回を授業で見ながらつっこむ。
 この熱くオトコオトコした魂がかもすドラマの筋の安定感、それが人気の秘訣だったのだろう。
 二台のデジカメ試作品の、熱すぎ重すぎたゆえに「熱子」「重子」さんという命名。また熱さゆえにファインダーにファンを取り付けざるを得ず、それゆえに液晶画面につながざるをえず、こうした原因が、現在デジカメでは当たり前となっている液晶による即時的確認の要素を生み出した点、これが面白い。この間接的な直接性という視認がデジカメの命かもしれない。時間と空間が以前とは違ってのっぺりと平面上に混在し、ありありと間接的に見ることができるようになった違和感がなつかしい。

■考える写真
Thinking Photography (Communications and Culture)
いやこれもなつかしい。明るい部屋手前のバルトを受けて編まれた論集。
think-photoとか写真を考えるシリーズは、これは――そして南伸坊『笑う写真』――がもとになっている(南氏は図版掲載許可でお世話になりました)。写真の記号論が勢いのあった時代のバイブル。