監視映像論9
■ブログ諸々
6月16日のシンポ感想に関連して、増田さんがまとめをあげてくれました。トラックバックでお読みください。…主張にはほぼ同意。ただし、老婆心ながら、ともすると美学のこの件の議論は閉じかねないのではないかという懸念をあえてあげておきました。
名和先生は、本当にお知り合いになりたい。そのためには、写真の著作権問題で研究をするしかない。
また、おつゆくんのところでも面白そうな議論が起きてます。
ブログというのは案外面白い。
■ゼミ素材
漫画ゼミ用。達者でお馬鹿な線と、瞬時に動揺する線。
■監視映像論9
ベタだけれど、いちおう典型的ビデオ監視映像の挿入例として。
音の使い方は少々考えてみないとならない。
授業用に『カンバセーション』のいくつかのシークエンスのスチル切り貼りをする。
冒頭のシークエンスをようやく終了。このシークエンスは変。
音の採取をしている場所、音が発せられている場所、録音か生音か、音と映像が不一致の場合には、それが映画内での機械を介して漏れ聞いている音なのか、それとも映画の編集上、両者を重ねている音との結びつけなのか、そのギアが実にめまぐるしく変わって、観客の足元が揺れてしまう。
また、映像ひとつをとっても、ズームでよりながらサーチする動き、パンで左右に往復する動き、帰ってこない視点ショット、手持ちのフレームのぎこちない動き、そのバリエーションの交替が映画の各所のシーンの基礎にされている。
あと2,3のシーンを切り貼りする。
レヴィンはまだ中途半端な物語世界の内外の間にある監視映画作例と言うが、これだけでも充分、映画を見る外と内の視点は揺らいでいる。