写真史×3
■仕事
レポート引き続き。
今期は、驚くことに、コピペ答案がいくつもあった。このブログの文章をそのままコピペしたものまでもあった。もちろんそんな素材のなかには稀に前期の話と関心が重なっているものもあったりして参考にはなる。例えば、これ。
北野氏の連載(人文書院のサイト)
この連載は面白い。あいだの映像やマノヴィッチの回避したものについての議論は納得。
とはいえ、そのほかのコピペものにはひたすら疲弊。原文を間引けば自分の文となると思っていたりするものもあり、、、どこからがコピペになるのかの基準まで話さないとならないのだろうか。そういう無益な時間を一晩すごす。これも仕事。
■仕事
他方、いくつか面白い答案もあった。
『エレファント』の拡散した距離を置いた視点に主客にあてはまらないしかし距離を置いた観客の視点を読み取る論考、手塚『そこに指が』『赤の他人』からマンガの内部の外部的視点を読みとる論考、長谷氏の論考から「もう起こってしまった過去」を監視映画等に導入して読む試み、トイカメラとそれによる撮影の身体性の記号性を批判したもの、デジタルカメラがアナログカメラ的記号をちりばめることで帯びた作用性を指摘したもの、演劇、爆笑問題の番組などなど。
ようやくつけ終わる。
■写真(小)史の写真史の写真史
古書を借りる。ベンヤミン『写真少史』で言及されるボッセルト/グットマン『写真の初期から』(1930年10月)。表紙はCh.ヴィンターなる写真師によるトップハットをかぶった紳士の肖像写真。裏表紙には、エルンスト・フールマンの『生活世界としての植物―200枚の写真集――』の広告が掲載されている。この本はスキャンをせねばなるまい。
また同時期の写真史概説的な書物も当たってみることにする。