憑依されたメディア8


あまりに忙しくてここも放っておいた。続き。

■憑依されたメディア
 (承前)
 たとえば、『アウター・リミッツ』には、「Bellero Shield」、「Beyond the Screen」、「Guests」、「Feasibility Study」(1964)、「The Premonition
」(1965)がある。最初の2作品は郊外に暮らすいかにも幸福そうな家庭の主婦がそれにもかかわらず外界と隔絶され、空虚な非場所に陥っていく話である。無敵のシールドを発生させる異星人の装置を主人の昇進に利用しようと、宇宙人を気絶させ、装置を奪った主婦が、そのシールドのスイッチの切り方を分からず、宇宙人が目覚めてスイッチをオフにしたのにそれにも分からずシールドに閉じ込められたと思いなして狂気に陥る話「Bellaro Shield」。/TV好きの主人が壁一面の大型テレビを購入し、アパートにある自宅の壁を覆いつくしてしまう。妻はこの画面に囲まれ、やがて狂気に陥り、画面を切った後に、ふと合わせ鏡状になって無限に続く同じ部屋の並び、そこに映る無数の自身の姿を、アパートの主婦全員と思いなしてしまう…「The Walls」。
 郊外性、女性性、電気的現前、TV、そのノイズと空虚な非場所はこのように緊密に結びついて表象されているのである。
 あるいはこういう話。郊外そのものが異星に誘拐され、強制労働に奉仕させられる場合もある。なぜなら異星人たちはある種のウィルスに感染しており、自分たちの身体は石のように硬化しつつあり労働を行えないからである。地球に帰還するために人間たちはウィルスにあえて感染する。そして・・・。とても複雑な話「Feasibility Study」。/記録的な速度飛行を行った飛行士が静止した時間に入り込み、妻とともに、そのある種の煉獄的な非場所のなかを交通事故に遭う娘を救うために活躍する話「The Premonition」。
 こうした話は、50年代の原爆実験とその報道、そしてTVとのつながりを想起させるものである。郊外に作られた街に設置されたマネキンたちが、TVのインタヴュー取材まで受け、あの時が波打つあとの静止した記録映像がひたすら繰り返されて放映された一連の映像。さらにいえば、60年代初頭に流行した核シェルターもこれと結びつけることができる。核シェルターというまるで墓の内部のような閉鎖空間に閉じ込められ、TVのみが外部とつながる手段となる、そうした空虚な入れ子
 宇宙開発競争もこうした文脈に入れることができる。衛星用ロケット打ち上げ競争によって生じた、無限の宇宙や無数の衛星、その映像をTVを通じて見た神経症患者たちの言葉(宇宙に落ちてしまう)。それは『アウターリミッツ』の先の話のひとつにしか思えないような実話である。
 科学技術とTV視聴、核と宇宙と郊外はこんなふうに結びついているのである。
 そして前回挙げた『ポルターガイスト』は、60年代にTV放映を体験して育ったTV世代が、こうした恐怖を懐かしく眺めるホラーとノスタルジーの混合物だったのかもしれない。

以上第四章の概要。次で終了の予定。