霧と閃光

会議で神戸にタッチしてバック。
■Misty
 以前ここで紹介した『恐怖のメロディ』を見る。
 恐怖ズームと恐怖クロースアップの多い映画。
 冒頭、中盤、終盤に背景になる、大海原とそこにかかる霧が、原タイトルの『Play Misty For Me』を想起させるようになっている。電波の海、電波の霧のなかで彷徨う孤独な魂が引き起こすホラー。ラジオのリスナーの孤独さ、乖離性、それゆえのねじれ。ラストシーンで海原に浮かぶ死せるストーカー、その姿は、電波の海のなかの乖離した魂に等しい。そしてその背後に、依頼主もDJも欠いたまま録音テープのラジオ放送が流れ、Mistyがかかるのだった。

■写真うた
閃光少女 [DVD]
 CMでかかっている『閃光少女』は写真うた。ただし歌詞を見れば分かるように、一瞬の今の閃きを切りとるには間に合ってくれない「写真機は要らない」のであった。以前「写真うた」で『ギブス』について書いたように、林檎うたは写真を現在に間に合わないメディウムとして、いわばネガにして現在を際立たせる。
 でもジャケはどことなくビデオ再生前の画面のようでもあり、永遠の現在のホワイトノイズ画面のようでもある。意味は知らないけれど。