かこみ写真


原稿を仕上げにかかる。ほぼ終了。もう一度チェック。

■写真の中のかこみ写真
風邪薬エスタックイブの宣伝で、写真の中のまるがこみ写真を素材にしたものがある。
それは「写真の中にいない私」篇、「写真の中に入りたい」篇。
まるかしかくか、それは以前もここで話題にしたが、いろんな意味があるはずだが、このようないなかった者かこみ写真はかならずまるである。これもヴァナキュラー写真論素材。

■写真の死と…

Death Of Photography And Other Modern Fables On The Visual Arts

Death Of Photography And Other Modern Fables On The Visual Arts

がおすすめされたのでひとまず注文。写真の死の言説もいちおう収集対象。
著者編集のあれこれの本はこれ。前者は未見。
Sticky Sublime Uncontrollable Beauty: Toward a New Aesthetics

Photography & Culture
という雑誌の準備が着々と進められているようである。見本を注文する。たぶん
カルスタ系で写真を語ることと写真論とのあいだで折衝が行われるのだろうと予想している。
ちなみに小林さんもエディトリアル・アドバイザリー・ボードに入っている。

■「写真にする」
という言い回しが今はあると知り合いに聞いて、検索してみる。
つまりデジカメやスキャン画像をプリントし、物質化することを写真にすると言うのが現在の写真の語り方になってもいる。例えばここを参照
端的に言えば、もともとのアナログ写真がすでに別次元の記号の位相で記号になり、その記号を指し示す言い回し(記号)に、写真がなっているということだと思う。

 ところで、「〜写真にする」という言い回しを調べていると、
新聞写真風にするとかX線写真風にする工夫とか、トイカメラ風にするソフトとか、]、「昭和の写真ジェネレーター」とか、ウォーホルのマリリン風にするとか、
はては実際の光景を「ミニチュア」風の写真にするというものまである。
最後のものについては明日の欄で書きます。