釣ること、打つこと

■釣るか打つか
前述のアマチュア写真運動本を読む。
世紀半ばの紳士アマチュアたちを喩えるのに、フライフィッシングが用いられていたとしたら、世紀末のアマチュアたちの比喩にはクリケットが用いられるようになる。前者は、熟練した、時に自然についての瞑想に耽りもする、孤独な作業を行う、社会的にも階層の高いひとびとであるのに対し、後者は、階級間を横断し、複数で行われる、それが組織化された社会的な余暇活動になっているというわけだ。
 またこの変化と同時に、かつてのアマチュアにはあった自然と芸術の混合物であった写真実践、それが分裂し、三種類のプロとアマチュアへの分裂と専門分化が開始する。これを縫合しようとする芸術写真は、、、云々。そしてイギリスの話は時差を置いて、異なる社会編成をもつアメリカにも飛び火していく。

というわけで、二冊ともざっと読んだが、やはり美的原理がメインなことは変わらなかった。1880年代から1900年までのアマチュアから生じた美的エリーティズムについては、言説史を含めて誰かがやってくれるには違いない。