カメ女

■カメラを持った女
 女性アマチュア写真について調べている。
 1880年代以降の新たな写真技術によって可能になった広範なアマチュア層、その多くを女性が占めていたということは、どの写真史本でも、正面から論じられることが少ない。唯一、ナオミ・ローゼンブラムがわずかに議論している。家柄のよい家庭の女性たちが、たしなみとして身につけるべき余技としてアマチュア写真は当時の雑誌等で喧伝されたらしい。同書によれば、そのアマチュアたちの写真は、センチメンタルすぎる平凡さは残すが、率直で生き生きとした描写が特筆に値する側面だという。フォトジャーナリズムやピクトリアリズムのみならず、日常の屋内外の瞬間的表現かつ記録はスナップ的美学として拾い上げることができるのだ、と。
 ま、これは通例の説明としておいておくとして。

 面白いのは、男性以上に、こうしたアマチュア実践が、従来の美術システム、つまり既存の修行や教育の外部にあったことである。また、カメラを持った女性が、カメラゆえにその日常の社会的障壁を一時的に踏み越えることができたということも重要だろう。写真家列伝的まとめかたもできるが、男性と同様に、女性アマチュアについてもそうではないまとめかたもできる。チャリに乗ってブルーマー履いて、ラケットもってカメラもって駆け回るコダックガール的な表象、その資料はもっと集めねばならない。
 もちろん、さらに重要なこととして、写真メディアと女性の関係で19世紀において重要なのは、家庭でのアルバム作成である。つねに書き直し可能な記憶媒体、それは家族や近親者の同一性へ収斂するばかりでなく、もっと他者と自己の境界を揺るがすような脱境界化の実践でもあったのである。そうした脱編集的主体としてのアルバム編纂者。スナップ写真の問題はこの裏地とともに考える必要はある。。。というのを今書いている。
 下記の『イメージと想像力』のバッチェンのカルト・ド・ヴィジット論を参照のこと。

 またそうした脱境界化という経験は、よく考えれば、ヴァナキュラー写真を見る受容体験にも前提とされていることが分かる。ここまで書けるかどうかは心もとない。

 ひとまずローゼンブラム本のうち左を注文。間に合わないけど、次につながる本なので。
A History of Women PhotographersWomen Seeing Women: A Pictorial History of Women's Photography from Julia Margaret Cameron to Annie LeibovitzDocumenting a Myth: The South As Seen by Three Women Photographers, Chansonetta Stanley Emmons, Doris Ulmann, Bayard Wootten 1910-1940Image & Imagination

■スクラップ
 調べものをしていてこのサイトを発見した。『赤毛のアン』のモンゴメリについて諸々の情報が分かる。
スクラップの歴史について参考書を集める。これは次の次の次の仕事用。
The Victorian Scrap Gallery: A Collection of Over 500 Full-Color Victorian-Era ImagesThe History of Printed Scraps