JP論


■フライヤーコレクション
今年もポスター各種を作れという指示が来たので、ネタ帳にこれらを購入。

エキシビジョン フライヤー コレクション

エキシビジョン フライヤー コレクション

ミニシアターフライヤーコレクション〈2〉演劇フライヤーコレクション (パフォーマーの魅力を伝えるフライヤー特集)ミニシアター・フライヤー・コレクションチラシ&フライヤーコレクション
・・・いろんな仕事がある。

■JP論
Studying Contemporary American Films: A Guide to Movie Analysis
『現代アメリカ映画研究』の第7章「写真映像とデジタル映像におけるリアリズム」を読む。もともと教科書的な作りで各章1(ないし2)作品を素材に、現代映画を論ずるツールを分かりやすく紹介した本であるので、リスターの『写真:入門』の映画版的な感じである。
 ジュラシックパークについて論じた7章はあえてバザンを導きとし、そのうえで前半部で映像のリアリズム論の複数のレベルに話を分岐させた後、後半でデジタル映像の逆説(現実に存在しないものを現実に存在するように描き出す)を様相論理学との並行性から説明するという流れであった。
 スピルバーグの『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド』でのデジタル映像の面白い点は、可視的な特殊効果をことさらに強調して現実に存在しないものを示すのではなく、可視的な特殊効果を不可視なものにする、つまりあたかもすでにあった事物を撮影するかのように構成するというねじれにある。たとえばそのために、俳優とCGのインタラクション、カメラの動き、運動のブレなどが駆使される。
 こうした不可視な可視的特殊効果のそのつどの迫真性は必ずしも絶対的なものではない。それは観客との関係のなかでつねに変化を経ていくものである。文化的歴史的迫真性をそのつど見積もり、その映像が潜在的に向かう方向を見定めることが重要だ・・・
 教科書的な議論ゆえ、バザンのリアリズムの前提にあるキリスト教的な信念については言及はないし、以前「デジタル写真のパラドクス」でマノヴィッチが展開していた議論ほどのひねりはないことはしかたはない。ただし、リアリズムの腑分けを手際よくしている点は使えそうな気はした。

 個人的には、JPやLWの不気味さは、それが現在的だという点にある。過去の再生という物語的な時間的口実を装いながら、その実、何かすべてが現在のなかで入り混じっていく奇怪さ、これはもう少々考えたい。
 ところでジュラシックパーク論といえば、ミリアム・ハンセンも先のレフ・マノヴィッチ(後者はほんの一部にすぎないが)のものもある。これも読み進めることにする。

 新旧『ロストワールド』も素材として注文。左が旧。1925年のストップ・モーション・アニメーションもの。ギクシャク論の一部にもなるだろう。
ロスト・ワールド (トールケース) [DVD]ロストワールド/ジュラシックパーク [DVD]

 本自体は、他にも『ダイハード』を素材に古典的物語とポスト古典的物語を論じた章、『フィフスエレメント』で『S/Z』、ヴィデオゲームの論理を論じる章、『バックトゥザフューチャー』でエディプス的、ポストエディプス的物語を、『羊たちの沈黙』でフェミニズムフーコードゥルーズを論じた章など、興味深い見出しが盛りだくさんの本。