学会の梯子


 昨日一昨日と映像学会と美学会をはしごする。
 初日は午前の写真セクションを聞き、午後は外タレなみにドタキャンしたマノヴィッチをうらみつつ、美学会で仏像の発表を聞く。
 
 写真セクションは小林杏さんのメキシコの死児写真論が面白かった。彼女の論によれば、他の死後写真が生を一時停止させた、いかにも今にも目覚めそうな写真の体裁をとっているとすれば、メキシコのそれは死後をあからさまに固定している。しかしその写真の周囲は聖母のお眠り的コード(子どもだから天使のコードだが)などが織りあわされている。このアンバランスさをどう考えるべきなのかという問題の提起だったと思う。
 さらなる展開としては子ども写真の圏域を広く見渡すことと、メキシコ死児写真的系譜の伝播がどこにどう飛び火しているのかいないのかという問題と、アーカイヴの実情をどこまでおさえて切り出せるかという問題。

 ドイツ写真の発表は――自分のところの学生だから――さておくとして、他いろいろあった後に、美学会に移動し、その後、再び映像学会の飲み会で集合。いろんなひとにおめもじしつつゆるゆると飲む。木村建哉氏、略称キムタツ氏が実はルチャリブレに詳しいことが判明し、ひとしきり笑いつつエル・サントの息子話をする。もちろんそれ以外にも、藤井氏とか和田氏とか長谷氏とか、ものすごく贅沢な面子で飲みつづける。

 二日目。ラジオと映画の発表の途中から、シネオラマの発表を経て、キートン自動車映画、女性身体鍛錬映画、さらには浅草六区の劇場空間の発表までを聞く。女性身体鍛錬映画の発表は、久々にサンダウ先生の筋肉映画を見、筋肉写真論の問題を考え直す。男性女性を問わす、動画で静止するポーズ(姿勢/静止)、それは同時に複数のコードが絡み合った末の凪のような静止でもある。それを穿つことで映画と写真のあいだは掘り下げることができる、、、という話をもう少ししたら再開しなければならない。ご本人から抜き刷り論文もいただく。
 キートンの発表は、蒸気機関内燃機関の表象と映画という問題設定で考えてみれば面白いと思った。映画と鉄道はパラレルな軌道を線路の如く描いているが、そこに自動車という表象やモチーフがはいってくることで、何がどう軸が揺らぐのか、それがたぶん自動車写真論としてたつのだと思う。
 浅草発表は時間切れの感はあったが、理論的なコアが強く出れば、映像の希薄さとか音の強さとか、編成される空間の問題がもう少し強く陰影がでたと思う。それはバトンとして受けておこうと思う。

ということで結構真面目に学会に参加して週末は終了。
発表者の方々お疲れ様でした。