巨大映像論など


■講演会
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■極大映像論
IMAXについて議論を集積。

Science, Technology and Culture: Cultural Studies Volume 12 Issue 3 (Cultural Studies , Vol 12, No 3)
この号のCharles Ackland「アイマックステクノロジーとツーリズムの眼差し」
全体の内容はこういう感じ。
 アイマックスは1967年にモントリオールで開催された万博のために制作された、巨大で複数のスクリーンによる映画実験から生まれた。そのとき以来、この映画技術および実践は、もっとも成功を収めた巨大フォーマットの映画技術となっている。この論文は、アイマックスが、ジョン・アーリが論じた、「ツーリズムの眼差し」を技術的に媒介した形式を美術館やテーマパークなどの諸制度へといかに導入しなおしているかを示す。アイマックスは現代のポストフォーディズム的文化における映画鑑賞の役割の変化を強力に示す事例であり、従来の文化的形態や実践の新たな布置を示しているのである。
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 深く傾斜した観客席、巨大なスクリーン、鮮明な色彩と細部、観客の眼前に迫りくる運動する映像、IMAXの特徴を、網膜へのスクリーンの接合手術とか、あるいは映像空間と現実空間の融合とか、最終的には、初期映画への回帰であるとかと称賛する声は多い。しかしこうした「回帰」は通常の映画とどのような差異を帯びつつ生じているのか。これが論者の提起する最初の問いである。

 第一に、システムの特異性がある。IMAXは、独自の生産配給上映のシステムゆえに、つまりその技術的システム、専門的知識や技術の貸し出しや生産の生産によって収益をあげてきたがゆえに、競合者の少ない市場で生き残ってきた。常にその技術を映画のなかでことさらに主張する自己反省的な映像も、この技術とその内容との密接な関係を示している。これが通常の映画とはことなる流通空間を切り開いている。

 しかしIMAXは現在変化をこうむりつつある。従来は博物館設置が大きな割合を占めていたIMAXは現在、テーマパーク、複合商業施設に拠点を移しつつあり、この変化は、映画の内容の変化に反映されている。
 つまりドキュメンタリー的、教育的、啓蒙的内容から、フィクション、物語的、ライドもの映画への移行のことである。このことは博物館などでの文化的実践の役割の推移とも関係している。論者は一方でベネットのミュージアム論――従来のミュージアム啓蒙主義的な原理に支えられた空間であった云々(クレーリー、フリードバーグ、シヴェルブッシュも援用される。要は近代的な規律訓練を行う視覚的メディアの話)――を参照しつつも、現在の文化的実践における教育と娯楽の境界の曖昧化をむしろ強調する。

 これが論者の第一の論点である。第二の論点はIMAX特有の視覚に関わるもの。
 IMAXに特徴的な視覚とはどのようなものか。論者によれば、それは「飛翔」の視覚、つまり、ある場所からダイブしたり上昇したり上空から見下ろしたりする視覚が冒頭に置かれる点にあるという。巨大な景観を概観する運動的な眼差しを経験しながら、その中心で動かぬまま運動する観客の経験に始まり、そうして遠く隔たった場所へ向かい、異質なものと遭遇する物語、これがIMAXの定型的な構成である。「旅立ち」の視覚と言い換えられもする。
(つづく)