イエスユーキャンビコーズユーマスト

■業務
 業務の一日。マンガ夜話マスターキートンの回を見せていると、千原ジュニアはバイク事故前であり、岡田トシオはダイエット前であり、夏目氏の表現論はテヅカイズデッド前であり、少しだけうなってしまう。
 講読でようやくジジェクとバックトゥザフューチャーの章を読み終える。
 ジジェク流の超自我の主体への要求の話は案外面白い。タイムトラベルものというSF的体裁をとらせながら、時間を遡行し現在を変更し大団円にいたるかに見える映画が、実は、「きみは〜できるのだから、きみは〜しなければならない」から、「きみは〜しなければならないのだから(してはならないのだから)、きみは〜できるのである〔だからおやんなさい〕」へと地すべりを起こしているという指摘。タイムトラベルもの、時間操作ものという昨今目に見えて増加している映画作品は、実は何も変化させず、悪循環の中で、過去を甘んじて享受するための口実にすぎないのだ、とも言えてしまう。だからたとえばそうした時間操作の映画が、時間をこれ見よがしに操作し、現在の視点から過去を融通無碍に操作している作品ということではなく、むしろ、操作してはならない、だから時間を操作できるのだという論理構成になっている、実に陰鬱な映画群だということも明瞭になってくるだろう。
 とはいえ、ジジェク的分析の陰鬱さは、ジジェクに限らずあれこれの現在的サントームを腑分けする社会分析的、心理分析的な研究の基本的トーンを構成しているような気がする。それから身を引き離しつつ、引き離さない方法は考えないとならない。暗い。

…そういう意味でYES WE CANという「〔MUST CAN…,〕YOU CAN DO-プラグマティズム」は分析できるのかもしれない。陪乗されたmust/canの論理。

でようやくエルセサーの本の第九章にも入る。ここではドゥルーズ映画論の再活用が焦点になるはず。