ヴィデオ展、飲む反復

東での学会が終わって戻ってくると職場が休講措置になっていた。

■ヴィデオアート展
東京の近美で開催されていた『ヴィデオを待ちながら』に行く。会場の様子はようつべでもあがっているので、近美のページで調べてください。展覧会カタログはヴィデオカセット大のコンパクトなもの。しかし、あのクラウスの古典的論文やブクローらの論文の邦訳が載っており、これは使える素材になりそう。
先に少し書いたスミッソンと映像との関係も今回の展示で良く分かる。

記号学
も参加。医療実践の中での、複数の主体のあいだでの言葉とイメージによる記号的過程が幾重にも錯綜したものであることを確認できた。記号学と医学の親和性はたしかに大きい。さらには、そこに医者と患者における視線の問題もかかわってくる。向かい合う複数の視線ではなく、並行する共有される視線の問題。あるいは病院における逸れる視線の運動を構成するイメージとしての病院壁画もこの問題に結びつく。そしてMRI画像やCTの画像、あるいは最近では動画やCG画像まで、さまざまな画像も加わってきて、考えることは多かった。どうにも「きれいで」「美しく」、動く画像が多い。また、今回はなかったけれど触診とか聴診器の歴史なども、ここには加えることもできるだろう。あるいは、いかに現在各種のTV番組でCG身体像がスペクタクル化しているのかということも考えることができるかもしれない。そんな意味でいろいろな考える素材をもらった学会だった。
 
 いろいろな映像を見ていて少しだけ面白かったのは、飲み込みの動画透視画像。学生がヨーグルトを飲み込む際の口から喉にかけての動きがメディアプレイヤーで何度も反復される。まるで初期映画の「嚥下」そのままである。もちろんそれはカメラを飲み込む作品なのではあるが。のむ動きの反復という点では変わらない。