ヴァナキュラー、モダニズム

神戸。シャーマン残りとデュエイン・マイケルズ少々、モダンの美学の成立、フューチャーシネマの現代映画実践との距離、などなどについて一日喋る。


翻訳仕事の3つのうちのひとつのために、ゲーリーの映画も取り寄せることにする。

■ヴァナキュラー論
 クレオール主義 (ちくま学芸文庫)
 これも基礎文献として読む。ヴァナキュラーというとどうしても建築に照準されがちで概念の変遷が曖昧であることが多いが、ここに所収のヴァナキュラー論は違う。
ルドフスキー『建築家なしの建築』、クウェンホーヴェン『現代アメリカ文明における諸芸術』、ヴェンチューリのものなどもおさらいをしておく。
 またミリアム・ハンセンの上海映画についての論文も届く。どうにも概念定義の部分がいずれの論文でも希薄なのが難。
これはいずれも8月の仕事用。
 Common Places: Readings in American Vernacular Architecture
 建築を対象とした議論の基礎文献もようやく届く。定義の部分は消化しておく。ブルースに関する議論の展開は最初の上掲書を参照のこと。

 ついでに、以前も指摘したように、クウェンホーヴェンの議論とシャーカフスキーの議論の結びつきと差異は、バッチェンが指摘している。これも含めてグリーンバーグとも突き合わせてみなければならないだろう。これは年末の仕事。
 『写真空間3』で甲斐くんも指摘している問題。