肌理、写真

ゼミ会議コンパ。
ディオールとデジャヴ。



包まれるヒト―“環境”の存在論 (シリーズ ヒトの科学 4)
カルティエブレッソン的な写真に対してニューカラー的な写真を対置させる。後者の撮影者の環境のなかでのありかたを――たしかに写真は瞬間へと凝結させはするものの――、生態学的なものの視覚のありかたと結びつける対談(ホンマタカシ)を読む。いくつかのレベルを区別する必要はある。先述した撮影者のありかたがひとつ、第二にシークエンスでもフォトロマンでもない、散漫に拡散した写真の群れのありかたとその受容者のありかたは、区別すべきかもしれない。