ポスト、メディア


■学会
 今日も表象の学会。
 メディアのパネル、瞬間のパネル、身体のパネルをのぞく。メディアのパネルは、こちらでも近いうちに仕事があるので参考になった。石田さんのテクスチュア話は、僕ももう少し考えてみたい。中身のないひとでも中身のあるひとでもなく、中のひと、それがさまざまな議論に接続できそうな気がする。テクスト/コンテクストがテクスチュアのコンテクスチュアズへと切り替わっているメディアの肌理の問題として考えることもできる。日高さんと堀さんの話もちょっと別の軌道で展開してみたい。

 ポスト・メディア。しかしポストメディア的状況はつねにあった。たとえば70年代、90年代、そして現在。写真と映画、映画とテレビ、テレビとインターネット、メディアの登場ごとに実体的に考えることもできるし、新たなメディアによって変容する/される双方のメディアの諸現象をこまかに抑えていく作業もできる。また、フロアから提案が出ていたように、メディア論の一元的言説そのものの反復を歴史化して考えてみることもできる(リメディエーションとか、メタメディア論とか、メディアの考古学とか)し、メディアの融合の言説が各時代において異なっているその様相を区別して考えることもできる。

 パネルの後に北野さんと話していたのだが、70年代のメディア論的切断の問題を再検討する課題は結構魅力的かもしれない。とくに雑誌『オクトーバー』が立ち上がった時の諸問題。写真論やヴィデオアート論、その他、メディアの論が積極的に取り込まれ、相互の融合が唱えられつつ、やがてそれが閉域へと後退していく過程、写真論や写真史の動向においてもこれを広げて考えることもできる。…そんなことをざっと考えた。

 ちなみに自分も参加させてもらった最初のシンポは、他のパネリストのアドリブや返しの巧さが参考になった。モンスターのように巧い。

ということでいろいろ刺激をもらいつつ、この仕事完了。