写真、工学

■雑用
ゼミ発表を聞いて会議、その後雑用。そして校正。たぶん夜中まで校正。
ゼミの私写真の発表は、一度飯沢さんの定義をはずれて整理しなおす作業が必要。被写体、流通経路、撮影方法、私的公的の境界と相互の位置を座標軸にすれば、もっと大きな地図が描けるはず。アカデミーの発表はプレゼンの仕方がまだ整っていない。素材はたぶん面白かろうに。


■工学的、写真的
 たけくまメモの今回「マンガ工学部の可能性」は面白かった。
 というのもマンガのウェブ媒体での可能性も視座に入れていたから。また、写真と同様の、制作と理論との近さと遠さを挙げているから。前者も後者も写真の議論に当てはまる。

 もちろん、留保をつけておけば。
 第一に、写真のほうが誰でも作れてしまう感は強い。他方で、コマ割りしたマンガを描いたことがあるという学生は本当に少ない。それが大きく違う。ただし、他人に向けてスライドショーを作成したか否かと聞くと、話は違う(旅行写真等のスライドショーは別として)。

第二に技術の話。マンガがウェブの発表技術媒体に介されて、従来の形式のいくつかを変容させていくという話(たとえばひとコマずつを見せる静止画の動画はコマ割を根本的に再考する契機となる)は、写真にも使えるだろう。しかし、写真の場合には、ウェブ上でなかば動画である静止画のスライドショー動画を作品としてアップしてそれが流通して認められる作家、ウェブでの発表のみの作家って誰がいるのだろう。と考える。それは多分違う。

 第三に、美術史家など、別に自ら絵画彫刻を制作するわけではないのに、見ることが上手な観るプロというのは、普通に多数存在する。写真は、マンガは、と区別して考えず、そうした観るプロを一面では肯定してもいいとは思う。他方で、写真の場合は写真メディウムゆえのそうした観る距離のそもそもの否定性も保持しておいてもよいと思う。ではマンガはどうなのか。

などなどをつらつらと考えてみる。


学生の希望を取ってまわり、いくつかDVDリストを作る。
ダグラス・サーク コレクション DVD-BOX 1 (僕の彼女はどこ/心のともしび/天の許し給うものすべて) [初回限定生産]ダグラス・サーク コレクション 2 (初回限定生産) [DVD]
書きかけ