スポーツ論

■メディアスポーツ論
スポーツの問題を論じた本を数冊購入。ざっと目を通したが『スポーツの魅惑と…』の語り口が興味深い。過剰で不気味な身体を覆い隠すべく物語素が総動員されるという話。
スポーツを考える―身体・資本・ナショナリズム (ちくま新書)変容する現代社会とスポーツ現代メディアスポーツ論 (SEKAISHISO SEMINAR)メディアスポーツ解体 ~<見えない権力>をあぶり出す (NHKブックス)スポーツの魅惑とメディアの誘惑―身体/国家のカルチュラル・スタディーズ

スポーツの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

スポーツの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

スポーツ/メディア/ジェンダー (講座現代文化としてのスポーツ (2))

スポーツ/メディア/ジェンダー (講座現代文化としてのスポーツ (2))

未見の下記も注文する。
メディアスポーツ[rakuten:book:10666590:image]近代スポーツのミッションは終わったか―身体・メディア・世界世紀の誤審 オリンピックからW杯まで (光文社新書)
ジェンダーナショナリズムの問題はもちろんあるとして、それは十分出そろっているので、それ以外の論じ方を探している。たとえば、たえずルールが更新され、ルールと競技がラングとパロールのごとき関係にあり、ドーピングと道具をめぐる議論がはなはだ不透明な基準によって促され、しかも数的データが集約点になる、幾層かに力学が散りばめられ、そのつどの収斂が生じる。ここにメディアと身体の問題も入れて考えること。もちろんメディアを剥けば、純然たる身体とスポーツがあるということではなく。
もう少し調査を続ける。