陪審、教示

陪審研究
大坪・藤田「集団過程としての陪審裁判」『心理学評論』44巻第4号(2001)
を読む。
 陪審評決の先行研究を概観すると、まず裁判官と陪審による同事件の判断の一致不一致の要因をめぐる研究がある。Kalven and Zeisel(1966)不一致の要因は、陪審員の無理解度によるものではなく、裁判官とは異なる感情や価値観にあると結論づける。
 他方、陪審員の能力についての否定的な評価をくだす先行研究もある。報道、被告の前歴、個人属性などが及ぼす影響云々が語られる。
 しかし、まずは法的教示を陪審員に与え、評決がどのように影響を受けるかも考えねばならない(Simon(1980))。「合理的疑いを越えて」という法的教示がここでは注目されるべきで、陪審評決がこれに敏感に反応することがこうした研究では示されている。
 いわゆる宥恕バイアス(陪審裁判が検察側より被告人に対して有利になる傾向をもつ)の研究も、この文脈で参照点になる。そもそも陪審請求するのは被告人であり、自身に有利な場合請求されるからという説明もあるが、それよりも先の法的教示を要因として考察したほうがよいという研究もある(MacCouun and Kerr)。
 また、教示のひとつとして、目撃証言や統計的証拠についての、陪審員への専門家などによる解釈の仕方の明確で適切な教示も重要である。目撃証言は、陪審員においては信頼性の高いものと見なされやすい傾向があり、しかもその信頼性の評価は目撃者の自信度に影響されやすい。だからこそ専門家による教示が必要である。しかし、教示がどこまで合法的か、裁判官が陪審を誘導していないかなどの問題は残る。
 陪審陪審員の判断を区別して議論することも重要である。陪審員の判断が陪審の判断とどのように違うのか、あるいは個人の誤った判断が評議を通じてどこまで正されるのかについて先行研究がある。決定ルールや陪審サイズを操作した模擬陪審研究をここでは考えてみる。しかしいずれも有効な説明とはなりえない。
 そこで社会的決定図式モデルによる分析が重要なものとして浮上してくる。…その分析を陪審裁判に適用した結果、陪審員よりも陪審のほうが、証拠能力のない情報に影響を受けにくい判断を下すという結果が得られている。しかし、個々の陪審員が判断を下す確率が0.5前後の場合には、つまり有罪無罪の証拠が拮抗している場合には、証拠能力のない情報に影響を受けやすいということもできる。
 以上の知見を裁判員制度についての議論に用いることができる。ただし、参審制に近いこの制度は、専門知識の有無による地位格差の問題もあり、この格差ゆえに生じる影響力についての研究を参照しながら、裁判官と裁判員の相互関係についてさらに分析を進める必要がある。

…教示の問題、格差の問題、証拠能力のない情報の影響の問題、証拠について解釈を呈示する方法などが、ここではポイントになる。

■教示論
裁判員制度と法心理学』所収の論文も読む。仲「裁判員の法的知識と心理学的知識――裁判員制度への動機づけと知識の問題」、山崎「裁判員への知識の教示とその効果――模擬裁判実験による検討」の2本。後者は次の日の欄で。
 前者は、裁判員に期待される知識についての議論。裁判において市民の側に必要とされる知識、さらには、一般に言われるような、広範に市民が日常的に行っている納得できる意見という意味での常識、それが、とくに証言、記憶、識別の信用性に関して、心理学的常識と照らし合わせると、いくつかの差異があることは明らかである(凶器注目効果、人種間バイアス、目撃者の能力の過大評価、記憶の変容についての知識)。これを法的知識とともにアンケートによって確認。結果として、法的知識については証明責任、操作記録、有罪の証明についての判断が、記憶の抑圧・回復、子どもの証言についての判断が、正答率が低いということが明らかになる。他の調査による市民たちの裁判への参加への不安を低減するには、これらの知識を教示する必要がある、、、という論。