教示、供述
…裁判について調べているのは、5月上旬の学会で「判定」をテーマにした特集をやるため。別に裁判員になったわけではありません。念のため。
で、引き続きいくつか読み進めていく。
■教示問題
昨日の2本のうちのもう一本、「裁判員への知識の教示とその効果」をめぐる議論を読む。昨日の仲論文を受けて、では矜持がどのように裁判員の判断に影響を及ぼすのかを討究した論。先の論文で指摘された一般的常識と法的・心理学的知識の差異を補う教示、しかしその問題は簡単ではない。知識を得るにしてもその知識に習熟しなければ認知的負荷が高まり、公判の内容自体の理解を阻害してしまう可能性があるからである。実験の結果から証明される。またこの論文の第二の論点は、一般人にとってなじみのない法概念の参照が公判内容の理解および法的判断に及ぼす影響を、市民と法の専門家のあいだで比較をしてみるということである。これは法概念「未必の故意」をめぐって書かれた別論文を参照する必要があるので省略。
教示の方法やその時期については具体的な提案はないものの、教示すればそれでよしというわけではないことがこの論考から分かる。
■裁判マンガ
『裁判長!ここは懲役4年でどうすか 1 (BUNCH COMICS)』『サマヨイザクラ裁判員制度の光と闇 上 (アクションコミックス)』
先日紹介した二つのマンガを読む。前者はとくに裁判員制度とは関係がない、傍聴記のマンガ化(TVドラマ版は『傍聴マニア』)であったが、後者は裁判員と裁判官の評議の様子、証拠、証人、供述の問題、証人および裁判員の感情の問題、守秘義務の問題、共同体の問題などが物語のなかにうまく織り込まれている。もちろんここまで劇的な事例はないのではあろうが。読みごたえはある。
■供述問題
現代思想2008年10月号 特集=裁判員制度 死刑を下すのは誰か
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浜田寿美男「裁判員制度のもとでは供述鑑定は意味を持ちうるか」から読みはじめる。裁判員制度に、「推定有罪」的な現状(つまり、日本の刑事裁判の99パーセントは有罪であり、裁判官自体が無罪判決の経験に乏しく、経験的にも、そして制度環境的にも有罪を前提とした構えがあるということ)に対する抵抗を少しは期待できるのではないかということ。また、これとは逆に、裁判員制度においても、取調べの不可視性という状況は変わることはないし、供述調書という文書全体が裁判員に見せられることもなく、むしろ公判前整理手続きで証拠が限定されるということになる。供述鑑定も審理に活用されることはないであろう。今後も起きるであろう自白の虚偽性、目撃供述の誤謬性に対して、新制度は必ずしも期待ばかりできるものではない、という筋。