未必、感情


休みだけど会議。3月に休日祝日が潰されていってしまったのは、ひとえにインフルエンザ効果。来年はこんなことはないことを望む。

未必の故意

法と心理〈第7巻第1号〉特集 素人の事実認定と玄人の事実認定

法と心理〈第7巻第1号〉特集 素人の事実認定と玄人の事実認定

もようやく届く。まずは、山崎・仲「「未必の故意」に関する教示が司法修習生と大学生の裁判理解および法的判断に及ぼす影響」。これは先に挙げた山崎論文と重複しているのでまとめは省略。次に藤田「法学の既習・未習が有罪・無罪判断に及ぼす影響」も読む。法学既習者が有罪方向に認定する傾向あるスキーマを持っており、同じ事実に対して未習者よりも有罪方向の判断が大きくなるのではないかという仮説を実験で検証しようとした報告。ここでも未必の故意の理解が素材になっている。ただし、統計的には十分有意な結果は得られず、統計的に安定的な結果をもたらすだけの参加者数の確保も原因かもしれず、今後のさらなる区分のもとでの実験や実験実施方法を考えるべきという論の流れ。
 高野「裁判官は、いつ事実を認定するのか」。戦後の刑事裁判の歴史が無罪判事が有罪判事に駆逐される過程ではなかったかということ。いずれにせよ活字になっている記録が素材となるが、それを説明したり説得する以前にすでに法廷での空気のような雰囲気としての判断があるのではないか。だから、裁判員に、有罪判事と渡り合うだけの論理的説明を求めるよりも、直感的な共感や非共感がむしろ重要だと伝えることのほうが案外重要ではないのかという主張。

■感情と法
感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム
感情と法をめぐる議論も気になり、取り寄せてみる。