モーフィング、監視、遺産


校正1本ようやく終わる。今日は4コマ連続授業。。。そのあと留学生主催の中華鍋パーティーを堪能する。

■ソブチャク
ソブチャクのぐちゃぐちゃした英語の論文を読みはじめる。内容は身体の現象学を足場にし、デジタル技術的モーフ(ィング)によってそれが決定的に動揺していることを作例を挙げつつ説明する流れ。以前読んだクイックタイム論と似たような展開ではあるが、初期映画の逆回しなどから話が始まるのでそこそこ楽しみつつ読む。
 これに限らず、映像の現在的技術をめぐり、それを出発地点としながらもう少し抽象的な思考のレベルと行き来するような映画映像論を集めてみたいと思う。

ベンヤミン

瓦礫の天使たち―ベンヤミンから“映画”の見果てぬ夢へ

瓦礫の天使たち―ベンヤミンから“映画”の見果てぬ夢へ

が出た模様。部分的には読んでいたが、これは楽しみ。。。(と書いたら大学にお送りいただいていた。ありがとうございました。)9月にまたまたベンヤミンについて話をせいということなので、これもそろそろ着手せねば、

■監視、ルフ
Thomas RuffParkett No. 28: Franz Gertsch & Thomas Ruff (Parkett Art Magazine, No 28, 1991)CTRL [SPACE]: Rhetorics of Surveillance from Bentham to Big Brother
これも久々に開く。7月頭に間に合えばの授業素材。

■ 遺産、大衆、イメージ
これも直前なのでお知らせしておきます。

第3回「文化遺産としての大衆的イメージ」公開講演会

表象・流通・蒐集--近代日本の視覚文化/物質文化を再考する
Representation, Distribution, Collection: Rethinking Visual and Material Culture in Modern Japan

私たちは、モノに取り囲まれ、モノを使用して生きている。ただし、モノはただあるだけではない。モノは商品として〈流通〉し、時には〈蒐集〉の対象となる。そればかりではない。モノは言説やイメージによって〈表象〉され、その表象もまた商品として〈流通〉し、時には〈蒐集〉の対象となる。私たちが自らの人生を生きているように、モノもまたさまざまなコンテクストに再布置されることによって、その生を生きているわけである。近代日本――19世紀の終りから20世紀の前半――におけるさまざまなモノと表象――鉄道車輌、家具、絵画、仏像、納札――の生を追うことによって、マスカルチャー勃興期における視覚文化と物質文化を再考すること、それが本講演会の課題である。
日時 2010年6月12日(土) 13:00〜
会場 同志社大学今出川キャンパス 至誠館1F

主催 共同研究「文化遺産としての大衆的イメージ――近代日本における視覚文化の美学美術史学的研究」〔研究代表者:金田千秋(筑波大学大学院教授)〕
後援 大正イマジュリィ学会

プログラム
12:30 開場
13:00 趣旨説明  岸 文和
発表1 佐藤 守弘「鉄の夢――近代日本における鉄道の視覚文化」
発表2 ジョルダン・サンド「アジア植民地における家具と立ち居振る舞い」
発表3 ミカエル・リュケン「化物絵としての《麗子像》」
発表4 鈴木 廣之「仏像の『近代』――鎌倉大仏の行方」
発表5 ヘンリー・スミス「お札博士――フレデリック・スタールと蒐集の人類学」
17:40 総合討議
※発表は日本語で行われます。