変身、蒐集


■変身すること

フランケンシュタイン、ドラキュラに比して、狼男論は数が多いのかどうかはわからない。でも、変身ということ、その疾病のもと、時間的プロセスなどから考えれば、他二つのモンスター論とは別次元の議論が立てられるような気もする。

■集めること
 先日の科研も聞きに行く。
 テーマが散っていてなかなかすべての発表が収斂しないものの、それぞれの報告者が興味深い素材を提示していたと思う。佐藤氏の鉄道と写真のメトニミーの二乗の話は、おそらくさらなるメトニミックな動揺を鉄道写真に読み込むことにもなるし、サンド氏の椅子の問題は、写真に写る被写体の立ち居振る舞いの力学を各地で分岐させて考える作業につながるし、札の話はその遠い親戚であるシール写真へと無理やり展開する出発点にもなる。リュケン氏の劉生の根底にある複製的な不気味なものも、写真によるレパートリーが当然のごとく前提となっている。
 ただ、いくつかの、あるいはこの科研報告会のひとつの軸である蒐集という概念が、もうすこし掘り下げて、あるいはこの概念自体の極限まで押し広げて考えてみることはできないかと思う。
 鉄にせよ、お札博士や紙くず博士にせよ、ゴミ屋敷の住人にせよ、物を集める根底には、不在や空隙があり、均質で反復的な表象へのリビドーにはこうした空所がかならずある。それがあまり言及されないのは、少し物足りないとも思った。
 とはいえ全体として濃い集まりだった。