前回紹介したイベントに合わせて、サイトゼロの諸論文をざざっと読んでいる。全体にヴァナキュラーという語の摩擦が散ってそれぞれに議論の軌道が掘られていて面白い。
 浜野論文は、流体写真と写真ダウジングの差異が事前事後の不可視性/可視性という亀裂となっていて、その亀裂の上にヴァナキュラー写真を載せることができるという点。
 長谷論文は、しばしば相互に対立するものと考えられがちなメディアとヴァナキュラーの相互作用を現在的な事例から説き、ヴァナキュラーのいわば散種的で多孔的で不気味な運動をついた論。
 門林論文は、認知考古学の近代的な二つの起源(ウィリアムズの内部光学と19世紀の生理学的言説)を提示し、世界の表象=再現前化とは異なる、起源の洞窟的、内閉的表象空間のありかを指し示し、さらには神経系美学への接続を試みている。
猛烈に忙しいので今日はこれまで。