〈一〉、転地

■承前
とはいえ、会議まる一日で疲弊しているので明日。
 
 田中論文は、イリイチのヴァナキュラーの規定から、地域固有という意味を超えるヴァナキュラーの政治的次元へ話を進め、複数言語が無境界に結びついている動的なあり方――ヴァナキュラーな言語の通常のあり方――を提示し、次に、ソシュール「語る主体の無意識」に見られる、類推的創造、非理性的な連合を参照点として、一枚岩的な、あるいはただ「一」に対する「多」としてのヴァナキュラー理解に抗するヴァナキュラーへ論を進める。中谷『セヴェラルネス』、弱い技術、ブリコラージュ、独学者というキーワードを経て、取り出されるのは、大文字の「一」なるでも、これに対立させられる「多」でもなく、変化しつつ連続する連鎖の〈一〉として、ヴァナキュラーを展開するヒント。
 この弱い技術の系譜に属し、ある意味ではヴァナキュラー的亀裂を体現しているのがロースである。ロ−スの意識していた矛盾や自家撞着、その建築言語の困難の一つの要因でもあった「住むことにおける緩慢で散漫な知覚によって経験される空間」を、別の文脈で引き受けたのが今の試みである、という議論が佐藤論文。考現学的採集において、今が半ば気づき、吉田が明瞭に意識していた距離の不可能性、無目的性、これがセルトー、さらにはギンズブルグの推論的範例を経由して、風景に抗する転地的な移動の実践としてまとめられる。

ひとまず昨日分はここまで。