御礼終了


■満員御礼
 土曜日のトークショーはひとまず終了(お越しいただいた方、その後の打ち上げにお付き合いいただいた方、ありがとうございました)。深夜まで濃密な話ができるのは東京ならでは。で、当日話がぐるぐるまわったことは反省しています。
 私が話したかったのは端的に、次のようなことでした。18世紀と19世紀の複製技術の相違、そこから文書的、映像的アーカイヴが立ち上げられる、しかしそのメディウムとなった指紋の痕跡はいわば根本的にはぐらかすインデックス的なものでしかなかった、私なるものの同一性はその間で急速に前景化しつつもつねに宙づりにならざるをえない結節点であったのかもしれない、では現在そうしたアーカイヴの不均衡や流動性の別の局面にある認証問題、その生体的、映像的次元はどのようになりつつあるのか、そして私とは何かの確認の複数の次元はどのようにドラスティックに変わっているのか(いないのか)ということでした。もちろん全部アドリブだったのでそんなに詰まった話はできませんでしたが。

■ゲーム大会
 翌日は9時発で神戸に向かい。ゲーム論大会に参加する。
 これが予想以上に面白い研究会になった。つまり、大学院生と若手研究者二人が好対照に自身の議論の立場を設定しつつ、シニフィアン論、認識論、存在論というフレームに限定しつつも、相互に議論を戦わせるという理想的研究会モードの研究会だった。吉田氏、河田氏、そして太田くんには感謝。
 私が気になったのは、会場とのやりとりでも繰り返し議論になったが、時間性の分節化、変に一元的な時間論へ行かないような、主体とインターフェースと身体の運動とゲームならではの不可逆性/可逆性を分岐させていくようなゲーム時間論の可能性をこれからどのように考えるかということだった。

 また、大学院生が司会やパネリストとして参加し、そこに若手のバリバリの研究者と対決するという若手10番勝負的な構成のほうが通常の学会縮小版のような催しよりも断然面白いということがはっきりした会でもあった。こういう催しをやるためにGPとか科研とかはある。視聴覚文化研究会や芸術学研究会もこういう企画で進めていけばいいのかもしれない、とか思った。


次の仕事のために、、、と書いたところでどうやら土曜日に風邪をもらったらしくしばらく動けず。