バルジャー事件

今回の風邪は長引いた。まだ治ってはいないもののようやく活動再開。

◆フィッシュリ+ヴァイス展
金沢21世紀美術館での展覧会を見に行った。特にカタログが刊行されているわけではないが、たぶんこれだけの作品が集められたのは日本では初めてではないだろうか。邪悪なピタゴラスイッチとでも呼ぶべき事の次第を含めDVDを購入することにした。

フィッシュリ&ヴァイス BOXセット [DVD]

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◆監視素材 バルジャー事件の監視映像
CTRL [SPACE]: Rhetorics of Surveillance from Bentham to Big Brother
 講義で監視話に進むので未見の論文や作品をチェックする。ジェイミー・バルジャー事件の監視映像を作品化したワグの《歴史画》についてあれこれ調べる。またついでにホテル・リッツでのダイアナ映像にも手をつける。
本書収録のマーク・カズンズの件の作品の解説はここにあり同作品を含むWinfried Pauleitの「ヴィデオ監視とポストモダン的主体」という監視論はここにある。バルジャー事件自体の説明はここにある(「バルガー事件」)。Pauleitはヴィデオ的監視の様相を写真や映画と比較しており、また映画を見ることがヴィデオを見ることによってどのように変異しているのかを「photograpesomenon」という概念によって切り出している点が興味深い。この概念、訳しにくいが、ヴィデオが常時録画されつつ見られることはなく事後的にセレクトされ視の対象になる、未来完了的な見方を表すためのキーワードになっている。他にも先のサイトにはヴィデオ論がいくつかあるので必読。この本にも論考は収められている。早速注文。
 

Bild -  Raum - Kontrolle: Videoueberwachung als Zeichen gesellschaftlichen Wandels

Bild - Raum - Kontrolle: Videoueberwachung als Zeichen gesellschaftlichen Wandels

 とはいえPauleitの論考はバルジャー事件の監視映像が動画からのスチルだと指摘する点で誤りである。タイムラプス映像であり、端からスチル映像であったものがパラパラ画像として提示されたというのが次の本のKammererの説明。
Bilder der Ueberwachung

Bilder der Ueberwachung

 もちろんPauleitの論は、メディアにおけるこの監視映像の反復的提示の際のポストプロダクション的次元、私的/公的な視線の奇妙なねじれと同一化に焦点があることは付け加えておかねばならない。
J・A・ウォーカーのワグ作品考はここに。メディアの喧しい反応がおさえられている。
ということでひとまず監視素材。