判定終了


■判定終了
 判定報道が案の定、行きつくとこまで行きつき、TVではエビゾウ関連やコムカイ関連と並べられて報道され、紙面ではNZ自地震ニュースより大きなスペースをとられて報道される。社会的影響?それは報道する側の原理だろうに。どうでもいいが、替え玉受験のニュースの時はもっと扱いは小さかったわけなのだが。
 自覚がないカンニングに自覚のないカンニング報道の相乗効果ですべてがマイナスに落としこまれる。大学がよりにもよって、警察に駆け込んでしまったこと、それは再生産する制度そのものが自分の余地を蛸が足を食うように切り詰めかねないことを分からなくしてしまった選択なのだろう…でももう書かない。うるさいから。カンニング映画でもあげておこう。
ザ・カンニング DVD-BOX

■マッチの妙
進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
を読んだ。連載当初のデッサン力の質と物語の構成の無茶な設定がマッチしてしまった典型的事例。と書けばもういいであろう。

■クリティシズム
ヴィジュアル・クリティシズム―表象と映画=機械の臨界点
ようやく見計らいからあがってきた論文集を読む。藤井氏の後期クラカウアー論はうなずくところが多い。クラカウアーの過小評価の原因は書かれていないと思うが、それは明らかで、元気な時のニュージャーマンクリティックの議論をもう少し紹介しなくてはと反省する。でも出版社がまずクラカウアー翻訳プランには載らない。
 川崎氏の回路論も読む。内でまかなう回路はたしかに優れている。議論も面白かった。でも外につなぐ「回路」を立てないといけない。それがまずひとつ。

書きかけ