ブルデュー写真論

■カントと写真
何だこれはと思い取り寄せてみた。

Kants Aesthetik im Zeitalter der Photographie: Analysen zwischen Sprache und Bild

Kants Aesthetik im Zeitalter der Photographie: Analysen zwischen Sprache und Bild

『写真の時代のカント美学』というタイトル。どうやらブルデュー、バルト、フルッサーを用いてカント的な美学概念を導きにしてアマチュア的逸脱的実践をどのように考えるべきかという内容の本のようだ。意図は分かるが分からない部分が多い。

ブルデュー論あれこれ1
Behnkeの「非正統的芸術としての写真」なる論文読了。主張は明快。
 60年代に書かれたブルデューの写真論が設定した枠組みをそれ以後のアメリカでの写真の芸術化/芸術の写真化を適用することは難しい。ただし、ブルデューのラジカルなところは、写真には美的基準がないと言いきってしまうところにある。クラウスは、その主張を芸術領野の脱構築にむけた。そういう意味で、ブルデュー写真論の「精確な読み」をクラウスがしたのだという話。

ブルデュー論あれこれ
Stallbrass「冷徹な目」も読む。話はスティーブン・マーフィーによるデジタル写真から始まる。この写真家は、何でもないスナップショットから人物を加工し、なおかつ色あせた写真のトーンを出すことで、家族的機能の危機を核にした作品を制作しているらしい。彼のみならず、現在ではヴァナキュラー写真を芸術写真の制作の一要素に組み入れるものが多くなっている。『Pleasures and Terrors of Domestic Comfort』(1991)というMoMAでの展覧会がその一例である。
 このような文脈を考えれば、
ブルデューの1965年の中流芸術についての本を再び話題にすることは、きわめて時機を逸したことになるかに見える。というのも、こうした展開は社会学者の厳格な図式には収めることができないからだ」。
残りは機会をみてまた紹介します。