缶詰


缶詰仕事引き続き。それは書かない。


 どうでもいいけど、TV東京とNHKのアーカイヴ開放以外、あまりにもストレスフルな、あるいは鬱のモードの放送が続いている。機能を分担して、もう少し違う放送を組んだらどうなのだろう。吉本関係で過去の漫才を流すチャンネルとか、旅番組ばっかり流すチャンネルとか、そういう民放があってもいい。
 すぐにドラマ化しかけてドラマ化しきれない物語的なりそこないを見るよりは、情報とそれ以外はめりはりをつけて流せないものなのか。
 関係者は今回の件に関わっているのでたしかに不謹慎承知だけれどもこう延々と続くと少々しんどい。


Ethnography誌のブルデューへの写真関連インタヴューをざっと読む。民族誌的調査の記録のため、そして現地の人々とのコミュニケーションのためにカメラを使用し、アルジェリアの調査地域が植民地化によって暗い部屋ならぬ屋根を剥がれた明るい部屋になっていたからこそ撮影とコミュニケーションができたという事情は分かる。カメラ・オーストリアにもこれを拡張したインタヴューが載っているらしいので調査することにした。

スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)
の小田部さんのハビトゥス論も読む。ブルデューパノフスキーの『ゴシック建築とスコラ学』を訳していて、ハビトゥスの由縁に美術史芸術学的な言説も関わっている。『写真論』の諸概念はあまりに生成途上すぎて、概念や構成に少々亀裂を見てとらざるを得ない。でも、ハビトゥス概念の生成という意味で写真論を読まないとならないということは分かる。

バルトとの関連もちらほら見かけるので、考える。おそらくバルトの前期の写真論を読んでいたうえでの言い回しがあちこちに散見される。これも一応一通りおさえる。