ロメロとか


夏季読書会最終日。結局『シネマ1』の後半に入るぐらいまで終える。続きは年末か年始か2,3月かに継続する予定。GDの議論を、広範な映像メディアのそれぞれのシステムに対して楔を打ち込み展開するツールにするのが課題。

■新刊
増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)
中古市場で値上がりしていたこの本の文庫化はありがたい。
監視スタディーズ――「見ること」「見られること」の社会理論
何冊目かのライアン監視本。

■ホラー
・シャヴィロ「感染的アレゴリージョージ・ロメロ
まずはロメロ三部作を見直す必要を痛感した。
 ゾンビにおける死(生)における生(死)とは実は資本主義の内的論理、内的諸力の完璧なアレゴリーになっているということ。緩慢なリズムで見るだに馬鹿馬鹿しい様子で佇み、弱々しく虚ろな面持ちで、定かでないかつての生前の記憶を保持しているかのように蠢きながら、ただ数において恐怖であり、話に永遠に終わりをもたらせられないゾンビ。かといって意思とエネルギーに満ちているわけでもなく、反射反応的であり、欲望に駆動されるというにはあまりに痙攣的で見苦しい動きを続けるゾンビ。
 こうしたゾンビ三部作が、精神分析的な同一化の枠組みや物語論的な枠では説明できない感染的で接触的な観客の関与、その情動の流れ方が興味深い。もちろん、ひとつひとつの概念は他のところで詳述するのだろう。