諸×2

ようやく29本目の博論が諸々終わり、レポート60本ほど読み終えてだいたい整理終える。明日に向けてもう一本ラストの30本目を読みはじめる。

■タイムマシン
 各所でお知らせがあったのでここには告知しなかったが11日はタイムマシン研究会に参加した。メディア作家の赤松正行さんの作品がiphoneで堪能することもでき、充実した会だった。
 冒頭で岩城くんがまとめたように、タイムマシンものというのは現在過剰に出回っていて、しかも身の回りの本当にミクロな――だが当人には重要な――要因が明滅する、多世界的多重人格的な小さな物語が多い。これに対して元の『タイムマシン』は進化論とマルクス主義を盛り込んだ、なおかつ時間の尺度自体が変性してしまうような大きすぎる物語なのかもしれない。その間に挿入できるのが、たとえば『生まれてこなかった男』のような自分を消去するようなタイムマシンものだとひとまず言うことができる。

 面白かったのは、たとえばベルクソンドゥルーズの発想(クリスタル・イメージ、過去と現在の共存、天文学的時間に見られる過去の現在、現在の現在、未来の現在)を経由した時間論や時間機械を文字通りに実現してしまったような装置が現在溢れていて――ニコ動でもyou tubeでもウェブ自体PC自体――この文字通りの実現が何をもたらしているのだろうかという問題だった。
 赤松氏の作品に関しても、それが自身が現在とみなしている幅が実は自己の頭や身体内での複雑な歪んだ編集過程であることをかえって炙り出すような時差装置で、それがどことなく酔ってしまうようなひとつの要因なのかなとも思った。
 ちなみに吉岡さんが対談の際にあげておられた『アウターリミッツ』の「生まれてこなかった男」は日本版VHSを持っていて「ルミノス星人の陰謀」がセットになっている。60年代SFというのは、電波的電気的現前に取り込まれてしまう設定が多いのだが、「ルミノス」の方はエイリアンが実験的に地球のある地域をそのまま自身の惑星に運んでしまうというこれまたよくわからない物語である。

■メディア
その前には京大でメディアスタディーズをリレー講義で担当する。最後のコマでは久々に吉田氏と河田氏、安田氏と松本氏、多賀さんと対話する。ゲームはメディアなのか、メディアとは今どのように定義すべきかの入口の話が案外面白かった。

■試問
 で、今日(16日)は朝から夜まで論文試問を一日中やる。その後の追いコンも学生の配慮でとてもよい雰囲気の会だった。それは皆さんに感謝。そしてお疲れ様。
ただし、今年は卒論の様式が少々収斂しすぎていて、そのひとつが自分やアイデンティティを落とし所にした論が多かったこと。これはちょっと物足りなかった。自分で落とさずに自分が壊れたりばらけたりする自分のうちの異物感をもう少し思考の導火線にしてみてもいいと思う。

明後日からは海外。明日までに仕事あれこれ片付けたらようやく行ける気がしてくるだろう。で戻ってきたらすぐにマンガミュージアムで研究会がある。。。本当にヘヴィーすぎる2月である。