写真を看取ること

昼から研究会。うちの学生も含めて3つの発表&報告。

 写真の修復というのはしばしばそう思いなされているように原点へ戻すことにあるのではない。例えば同じ写真家の同じネガからの複数のプリントがそれぞれ焼きの違うものである場合、修復の判断はいかにして行うのか。その答えは、それぞれをオリジナルとして扱うというものであった。ただしそれは元の作者の意図へ帰すことなのではなく、むしろそれぞれのバージョンの個物、その現状を保つことが重要なのだそうだ。つまり、修復よりも保存・現状維持に本質があるということ。
 撮影という時間を通過して経てきた写真の物理的時間、消滅していくまでの写真の時間、その進行がスローダウンされる。
 何かしら聞いていて、写真の保存とは、老いは止められないが、緩やかに死へ向かう生を充分まっとうさせるための最低限の介護か治療であるような感じがした。必要以上に延命させもしないし、無理に移植手術なども行わない。トリートメントとはそうした治療なのであろう。たしかロチェスターに行った知人はトリートメントをそう呼んでいたのは、あながちはずれていなかったのかもしれない。