人形 歌舞伎 第三項 手つき

 旅準備をしていていつも思うのだが、なぜ日本の都市の中央駅に両替所がないのだろう。もちろん時間幅の狭い外貨両替所はある。しかし都市の中央駅は24時間体制であるのが普通。つまり日本の中堅以上の都市はここいらへんがインターではないのかもしれない。京都ですらそう。

 大学。セミがもうええっちゅうくらいみんみんとなくなか、延々とゼミ。何か夏休みの水泳記録会のようである。
 4本発表聞きコメント。文句ばかりいっているけどこの授業は実は楽しい。考えている学生発表は面白い。人形アニメーション、歌舞伎、クラウス・バタイユアドルノヴァーグナーの話を聞く。
 人形アニメーションは、現実から演劇を経てそれが人形劇を介して人形アニメーションへと重ねられていくヒエラルキーが単線的すぎて再考の余地があり、メディアを飛び越す際の跳躍や分岐が考えどころだと思った。歌舞伎は、場の空間性の力学がいまひとつぶつかり合っていなくて芯がほしいと思った。勘でいいので投錨点がほしい。クラウスは、第三項の導入が引き起こす地滑りをあと一息で方法論化できそうな予感がした。水平の議論を紙面にもってきたら果たしてどうなるのか。それが少しスリリングである。アドルノは、彼の手つきをもう少し几帳面に腑分けしてほしいと思った。弁証法的概念の組み合わせ以前のアドルノのはがしてくる手つきがもう少し拡大されてもいい。

明日も発表ゼミ。