蝋人形と映画

photographology2004-08-21

蝋人形館と映画館の話。世紀転換期の視覚文化として両者に接点が見出されるのは当然かもしれない。とりあえずいくつかの確認とメモ。
 解剖学用も含め、蝋人形は身体の断片化と再構築、その間の蝋の溶解が要であり、これに対して初期映画および映画前史の映像も同様に身体の切断と総合、ディゾルヴが要であった。
 第二に視覚的なものへの言語的な代補が必須であったということがある。つまり映画で言えば字幕やレクチュラーの説明、あらかじめのストーリーのストックが必要であったのに対して、蝋人形ではキャプションが必須であった。なぜなら当時の版画やカルト・ド・ヴィジットでしか有名人の顔を知らない観者は、現在のような似ていることからというよりも文字情報によってはじめてその同一性を確認できたようであるからだ――彼らの見る悦びはむしろ別のところにあったという推測もある。
 それ以上に、グレヴァンでの映画上映の試み、ゼッカの犯罪者の物語のベースがグレヴァンの蝋人形の複数のシーンであることなどもここであげておく必要がある。

 ところで蝋人形のタッソー・グループは年に8回ほど会議を開き、蝋人形の引退と誕生を決定するそうである。年平均40-50体の蝋人形がデビューし、おそらくその数が消えていくのだそうである。

今日の画像はなぜかデン・ハーグで見つけたおそらく日本製のモンドリアンのアトリエ・ペーパークラフト。その完成写真。夏休みの工作の宿題。