グレヴァンのリアリティ

photographology2004-08-23

引き続きブルームとシュワルツの蝋人形論。
蝋人形のリアリティにはいくつかのソースがある。
 まず蝋人形が題材にした当時話題となった事件の現在性がある。
 次に蝋人形自体よりもそれを包む衣服や装身具や舞台設定などの細部の真正性がある。それは場合によっては、当時の事件がおきた現場から採ってこられたものによって支えられる真正性である。
 第三に物語というソースがある。ある犯罪者の物語に見られるように、7枚の「タブロー」に時系列順に分割された舞台設定が、連続小説の形式と似て、リアルな効果を生み出したのだという。これは先日も書いた新聞雑誌を通じて報道されていた馴染みのストーリーというストック故のリアリティである。それは観者の間テクスト的な結合能力に依拠している。つまり観客がタブローを動かすのである。
 第四に、タブローという枠どりされたディオラマでは人工性の境界があからさまであるのに対して、その枠を超えて蝋人形とその舞台を設定するという工夫もある。それは観者と舞台との間の境界線を無効にし、観者を現実と舞台との間に分け入らせるというリアリティの有り様である。
 ただし、これだけでは蝋人形館の空間の面白さはまだ半分しか言いえていない。次は、蝋人形を見る視点の政治性や力動性を挙げていくことにしよう。

 今日の画像はトルボットの墓のある墓地。