グレヴァンの空間

photographology2004-08-24

しつこいがグレヴァンの空間について。
 グレヴァンの空間は、当然のことながら、観者が動き回ること、言い換えれば巡回する視線、そして多元的な視点を前提にしている。これをシュワルツは近代の都市生活特有の、必ずしもブルジョワイデオロギーに収まりきらない遊歩の視線であると見ている。観者に対する蝋人形の配され仕方や、蝋人形への容易なアプローチ可能性によって、観者はいくつもの視点をそこでは採りうるのである。そうすることで階級、ジェンダー、時間、空間の境界を容易に超えていく流動性が生じること、それが蝋人形館の空間の特質だということになる――もちろん、こうした主張は、シュワルツの主張とは逆に、ただイデオロギーを補強しているにすぎないのではないか、と見ることもできるのだが。
 多元的な視点や動きの可能性により、蝋人形の空間を見る際の融通性が強調される。空間の特性を列挙していこう。
 第一に蝋人形の間に分け入り、場合によっては触れるほどの距離にまで接近すること、これがまずひとつ。先に書いた、タブローの枠を超え、観者のいる空間と表象の空間がブレ=ボケしてしまうという空間の構成。
 第二に、舞台袖ものが多かったこと。踊り子たちの控え室や、舞台と舞台袖を覗くようなタブロー、そこではごく限られたものに許された特権的な視点を観者は採るとともに、舞台袖にいる特権的な人々たちをさらに見る視点を採ることもできる――これは当時の絵画にも当てはまる。また『アンチ・スペクタクル』で訳出された論文にも見られるように、エッフェル塔工事現場のタブローでは複数の階層の視点をそこで観者は引き受けることができるということ。これは4つ目の観点にもつながる。
 第三に、これは繰り返しになるが、ならべられた時事もののタブローを既存の物語をソースに、身体を動かしつつ見ることによってタブローが動き出すということ。
 第四に、タブローの構成によっては、左から右へ移動するにつれてタブローのなかの蝋人形の観者が見ている光景を実際の観者が移動しながら目にしていくという視点の転換が起きるということ。

 同様にグレヴァンの蝋人形については時間的な観点からも、その特性を引き出すことができそうである。これはまたの機会に。

 今日の一枚はグレヴァンの列柱の間のナポレオンたち。タブローではなく観者との境界があいまいであり、なおかつ鏡によって観者も彼らの一員として入り込むような同一化の促しがある。