見学会

引き続きバルト考。バルトが前提にしていた写真史上のテクストをあらいだす作業。
…と思いつつ今日は学生と見学会。滋賀へ。『コピーの時代』展に行く。そもそもがアプロプリエーション華やかなりしころの澱を直視する展覧会。その澱を現在から距離を隔てて見る展覧会。オリジナルとコピーのヒエラルキーのご破算を見ているはずが観者は模写のうまさを説いたり、オリジナルのストゥディウムを語ったりと微妙なところ。かえってオリジナルへの振り戻しを感じざるを得ない展覧会でもあった。その意味では貨幣ものが振り戻しが少しでも違うあり方をしている点では、通貨という体系が澱の出にくいというか無時間的な体系であることを確認してしまったような感じである。
 関係はないが滋賀の文化ゾーンの文化の切り離しのほうがよっぽど気にならざるを得ない。週末の飛び地に分離された文化。

 終わって京都で飲み。リド飲食街はさすがに回避。…飲みながらblog.を挙げるのを逡巡している学生の背中を押す。生成とか成長とか発展ではなく、無時間的に複数の点で時間がばらばらに進行する時間性、そんな状況の中で自分のものにとどまらない自分の言葉をまくこと。