自然の鉛筆論 その4

photographology2004-11-26

 4枚目の《ガラス器》。3枚目と同じく棚の写真である。左右対称に水平な3層の段に、さまざまなガラス製品が配置されている。 この写真につけられたのは次のようなテクストである。

 図版3と図版4の大きな違いは手触り〔touch〕である。陶器とガラス器を一緒に撮影しようとすると上手くはいかない。なぜなら陶器の白は明るさゆえに露光時間がガラス器よりも短いからである。色のついた陶器ならばそれが可能である。ただし青い色の陶器はガラス品と一緒に撮影することができる。なぜなら青は白と同じくらい迅速に感光作用を及ぼすからである。これとは逆に緑色は作用がよわい。木々と明るい色の建物を一緒に撮影すると、具合の悪いことが常である。
 技術的な用件がここでは述べられている。トルボット自らの実験とその結果、それですべてである。
 このテクストは、もしかすると図版3のテクストと結びつけて理解しなければならないのかもしれない。図版1と2の関係よりも、図版3と4の形態的類似は顕著であるからである。3のテクストの終わりが口径と光の量の話であるとしたならば、こちらの図版のテクストでは色と感光紙の関係、つまり光の質と感光作用の問題が述べられているわけである。
 また最後の木々の緑と建物の話は、――この時点で構想されていたかは確認が必要だが――この建物の外観写真(図版15,16,19)を必然的に想起させる。そのなかでも南東から北西向きに撮られた15,19は建物に強く当たる日の光ゆえに白く輝き、木々を前景に配されているのである。

 ちなみに画像を拡大するならば、ガラスの正面に当たっている光から光がほぼ棚の正面から入り込んでいること、その光の入り口がレイコック・アビイの東面の格子窓であることが分かる。実際、現地を訪れて思ったが、この回廊は思った以上に幅が狭いスペースであった。回廊ゆえに棚が居並ぶ細長いスペースであり、一方がが窓、他方が棚の並んだ壁というわけである。ある意味で、カメラ・オブスクラを横につなげたような感じという印象もしなくはない。

 図版1−2と図版3−4の対比は明らかである。深い奥行きと浅い奥行き、パースペクティヴと面、写真を通して見ることと室内にとどまって光の作用の結果を見ること、こうした対比が顕著になっている。あるいは図版1と2にはすでに、歴史的に見て従来からあったカメラ・オブスクラの絵画的補助手段としての用法が、奥行きと面の間で揺れ動き、そうして次の一組の図版においてカメラ・オブスクラの中へと移行していくとも読むことができる。
次は5枚目。