自然の鉛筆論 その8

photographology2004-12-06

 8枚目『書棚〔A Scene in a Library〕』。
 すでに第一巻で目にした食器棚の2枚の写真と同様に、棚を正面から捉えた写真である。
 ここにつけられたテクストは以下の通り。少し奇妙なのである。
 出だしはこんな感じである。
「写真という発見が示唆した数多くの新たな観念のうち、次のものはかなり興味深い実験ないしは思弁である。実際、私がそれを試みたことはないし、誰かが試みたり提案したりしたということも私は知らない。しかしそれは、もし適切に行われれば、必ず成功するものであると思う」。
 どのような実験ないしは思弁なのだろうか。概略説明してみよう。
 太陽光のうち、紫外線という不可視の光線を用いて生じた結果によって私たちは紫外線の存在を知ることができる。この光線を小さな開口部をもつ壁などを通じて導きいれ部屋を満たす。他の光線は入り込まないので、もしその部屋に多くの人がいる場合には、互いを目にすることはない。しかし、それにもかかわらず、誰かにカメラを向けるのなら、その人物のポートレートが示されることになる。いわば赤外線写真やエックス線写真で実現される事柄が指摘されているのである。
 そして最後の段落でこう言われる。
「カメラの目は、人間の目が暗闇しか見ないところにものをはっきりと見る…」。この思弁はまだあまりにも複雑すぎるので小説などで取り入れられることはない。しかしこうした暗い部屋の秘密が、刻印された紙(写真)の証言によって明らかにされるのならば、どのような結果が生じるのだろうか。

 謎である。このテクストと図版を読むには、まず以前の2枚の写真およびテクストとの関連から考えていく必要がある。そこで述べられていたのは、写真と光の量および質、カメラの目と人間の目の関係(写真の迅速性や細部描写)、証拠としての写真についてであった。他の棚と同様、瞬時に書物のインデックスを記録し、それが証拠となる写真、しかし、そうした記録性よりも重要なのが次のような入れ子の問題である。

 つまり、興味深いのは、暗い小部屋に入った被写体をカメラで撮影するという件である。写真を撮影する主体も写真の被写体となる主体という二通りの仕方で、主体は暗い部屋の内と外に位置を占めることになる。あるいは暗い部屋の中にもうひとつ暗い部屋がある入れ子というべきか。
 以前述べたように『自然の鉛筆』の一連の写真の何枚かはレイコック・アビイのサウス・ギャラリーで撮影された(よく調べると南向きであった)。このスペースは比較的幅が狭く、南に面した格子窓をもれてくる光によって書棚や食器棚を撮影している。その様子は小部屋のなかで小部屋(カメラ)を操るという入れ子式の様態をなしているかのようでもあった。こう考えれば、書棚の写真につけられたテクストの思弁的内容は、あながち無関係な文章でもない。

 さらに、書棚という被写体に関して次のような指摘も行うことができる。そもそも『自然の鉛筆』とは写真を書物の形態で出版した初の写真集なのであり、その本という体裁を採る刊行物の一頁が書棚を被写体にしているということは見過ごすことができない点ではないだろうか。たとえばこれをある種の入れ子と見なせば、先ほどのテクストと図版の入れ子的対応と、本としての写真における本の写真という仕掛けとが相まって、実に複雑な読みをここで喚起することになるのかもしれないのである。

 それにしても不可視の光線というのは、読みきれない部分もある。

以上、8枚目のメモ。