photographology2004-12-17

■業務
 午前大学の書類・事務関係。終わって学会誌雑用関係。
 先日のWGの際にあまりもの大学評価のリストの多さに辟易して、評価自体を評価してもう面倒くさいものはやめるというババみたいな項目=カードを一枚入れてはどうかと提案する。あまりにも退屈な七並べにはババ抜きを加えてしまうこと。結局通りはしなかったのだが。

リストマニア
 大平氏がアマゾンでリストマニアのリストを挙げている(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/listmania/list-browse/-/3E65HXCU9HDJJ/qid=1103292125/sr=5-1/ref=sr_5_10_1/249-3387656-0138732)。

■自然の鉛筆 その11

さて11枚目。《リトグラフのコピー》。ここにつけられたテクスト。

 ここにおなじみのカリカチュアのコピーがある。版画は写真という手段によってコピーできるかもしれない。しかもサイズを改変することもできる楽しみも写真は与えてくれる。これは写真という芸術の重要な側面である。
 従来の大きさの改変のための方法に比べて、写真は、対象からカメラを遠ざけたりカメラに近づけたりすることでこうしたことを容易にできる。この写真は、そうした実例であり、かなり縮小したものだがオリジナルの比率を保持したものである。

 再び複写ものである。第二巻に入ってすでに3枚目のカメラなしの写真となる(植物の葉、書物のページ、リトグラフ)。ポイントは、版画というある意味では写真に通じるプリントが問題になっていること、そしてサイズの改変ということである。
 7枚目の植物の葉では直接的な接触よる複写の反復が強調され、9枚目では印刷された書物のページの実物大のコピーが強調され、11枚目ではカメラの遠近によるサイズの変化が強調されている。この3つの写真の間にカメラを用いた写真が挟まれる点から考えれば、カメラありとカメラなしのプロセスが交互に繰り返されていることが分かる。しかも、事物を直接感光紙上に置いた場合と、ページという別種のコードの羅列を印刷した面を複写したものと、人の手による芸術の、しかも複製可能な版画という紙面を複写したものというぐあいに、ここには幾種類もの段階を設定して考えなければならない複写の諸段階や諸々の質が提示されている。実物大サイズではなくサイズの縮小もそうした段階のひとつのパラメーターとしてここに加わるのである。わざわざカリカチュアリトグラフが選択されていること、これもこうした複写の諸段階を複雑にする。オリジナルとコピーの間のこの気の遠くなるような諸区別、それが第二巻の要になっている。