特集とトルボット論あれこれ

 夜半、ようやく懸案の書類を提出し、編集仕事にも先が見え、別の雑誌の話にもようやく頭をめぐらす余地ができそうな予感。これは、ヴィジュカル枠で徹底してヴィジュアルなものを扱うような議論を提示しながら――つまりヴィジュカルとは名ばかりで視覚的対象への執拗な拘りのない議論とは違う――、従来の制度的枠組みをずれていくようなコンセプトを立てた特集の話。

 昨日のイェーガー論文「19世紀半ばのヴィクトリア朝時代のイギリスにおける写真についての言説」を読む。科学と芸術の双方の言説から写真という発明品がどのような磁場に引き入れられていたのかが手際よくまとめられている。この時代の視覚や光学の問題、「教育」というキーワード、それと同時に社会の編成の問題も、19世紀写真考には不可欠であることが分かる。
 シャーフの『トルボットの写真芸術』へのグレアム・スミスの書評をおさえる。シャーフは叩き台になる。彼の詳細な調査はペンペン草すら残さない徹底ぶりなのだが、その事象への切り込み方がどうしても当時の言説の複合性にまで到達しないのが難という書評。個人的にはパトロクロス像の販売元や流通の問題への指摘が面白かった。
 トルボットのノートを対象にしたシャーフ論文をさらに読み進める。