サトウとシマダ

■テレビネタ。
 昨日テレビを見ていて不覚にも反応してしまったのが、さとう珠緒島田珠代説である。「珠」しか合ってはいないのだが、この一致は何だろう。島田のあの擬態、擬態が過ぎて笑いに転化してしまうあの擬態(媚態とは書かない)。他方、さとうのあの過剰な媚態。その媚態が擬態へと移行してしまった。そもそも島田に変化はない、ありようもない、ところがさとうの文脈とその再文脈化がサトウをシマダに見せてしまっている。そう考えると、さとうは石田靖並みのツッコミによって生きていくことになる。さらに言えばさとうは媚態の過剰を続けて擬態を保つことで生きながらえることができる気がする。だからどうだということもないのだが覚書。

■携帯サイト
 携帯サイトがようやくPCでも見ることができるようになった。携帯写真論とは携帯できる写真論も含む。携帯で撮るに値する写真についての論ということもある。以前から気になっている写真を集めるきっかけにもなるかもしれない。もちろん予定しているのは携帯写真・論。


 ヴィジュカル特集の扉仮原稿を書いて送る。資料を見直している暇がないので泥縄。


 所有論としてまず『所有のエチカ』を読む。所有の問題機制が手短に見てとれる論集。ポゼッションの憑依的側面についても言及がある。写真にこれを転用して少し考えてみる。