余白のひと

今日も早起きの大学。会議済ませて帰京。
…こうした僅かな時間の奪われ方は少々きつい。

 ティム・シュタールやアメルンクセンの書いた論文集『イメージからテクストへ』を読む。トルボットについての言及があったのと、19世紀写真のまとめがあったため。1840年代のアマチュアと後のアマチュアは根本的に異なる。社会的高い階層に属し、利益関心などにはとんと無頓着なありあまる金と時間を何の役に立つかも分からぬ科学研究等に惜しみなく注いだ限られた人々の共同体。トルボットはイタリアの植物学者と意見を交換し、内燃機関〔エンジン〕を開発し、アッシリア楔形文字を読み、語源研究をはじめ、数学論文を限りなく書き、余力で写真を発明してしまう。アマチュアとはそういう余力や余白のひとのことであったようである。ちなみにトルボットのイメージは当初は反転したイメージのままでよしとされた。どうやら黒い対象のイメージというのはどこか不吉なものがあったらしい。となれば余白ならぬ余黒のひととなるがそれは置いておく。
 これとは別にイーストマンハウスのアマチュア論本を参照しつつ考える作業もいずれ必要かもしれない。写真共同体を対象化すること。