ミドルさについて

■編集
 3つほどかかわっている雑誌編集のうち、GW明け締切のものが執筆者も内容も固まってきた。引き受けていただいた方々には感謝。けっこう面白いものになりそうなので期待してほしい。雑誌名は『美術フォーラム』12号。私は再び写真集について書く。3月に出るものの後編である。

■書評
羅生門』論を読む。殺陣論をやりたくてたまらなかったのだが、殺陣表象の政治性を読み、殺陣の複相性に考えを進める。

■地図とタクシー
ブラック『地図の政治学』を買う。
同時にタクシー論を探す。タクシーには個人的にはいろいろな想い出がある。例えば海外でも国内でもタクシーに乗る、すると地理の案内と人生の案内を同時に聞けることが多い。うかつにも東京でほんの目の先のところまでタクシーに乗ってしまったり、ドイツでアウトバーンでレースまがいのGを体験したり、イギリスの田舎で身のすくむようなやりとりをしたりと挿話には事欠かない。…東京や神戸では不発のことが多いが、京都の場合、西日本全体からさまざまな事情で京都に流れ着き、ドライバをやっている方々と話をすることになる。それは西陣の衰退から四国の教育事情から株の戦略にいたるまでさまざまである。合間にここ10年の京都の地政学的な話もする。彼らの京都の「抜け方」はまだだれもおさえていない。点よりも線、それがタクシーの地政学のような気がする。

■ミドル・スリーについて
 ミドル・スリーとはかつてのビッグ・スリー(さんま、たけし、タモリ)に対して、その中途さを逆手にとってネーミングしたお笑いコンビ3組のことである。雨上がりとくりぃむしちゅーとさまーず、後者2者は某番組で改名し(海砂利水魚バカルディ)、それが契機となってかどうかは知らないが、その後の第三次お笑いブームの中、なぜかメインもはれるコンビとして浮上してきた。しかし、この3組のなかで本来的なミドルは少ない。それはかつてのヒロミのごとき弟分としてのミドルでもなければ、松本組の面々的なミドルさでもない。それはさまーずのミドルさのことを言っているのである。このミドルさは、繰り返しで申し訳ないが、ホンジャマカの中間キープ加減とも違うし、アンタッチャブルのため方とも違う、そしてジカチョウの不遇な詰まり方とも異なる。