この世の終わり

■投稿の山
 ぼつぼつと学会誌の仕事の整理。今回は山のように原稿が届きつつある。3点採用のところ今回は7点になりそうな予感。嬉しい悲鳴なのだろうが、交通整理はたいへんそうな感じである。

■書評仕事。
市民ケーン』論を読み終える。映画内映画、ニュース映画の問題が押し広げられ、逆に映画の内と外を仕切っていた構造が壊乱されてしまうというダイナミックな議論。メディア間の摩擦の問題について少し考える気になってきた。ここまで読んでみての印象、密度が高い論集である。ハンセン論文へさらに進む。

地震の知らせ
 福岡で地震の知らせ。繁華街の中心で体験した地震は家庭で体験する地震と異なるという。齢70越えた人がこの世の終わりかと思ったと言うのはその備えのとりようのなさとしては傾聴に値する。話によれば隣にいた子どもがふっとび、駅前のホテルのガラスは全部破損したそうである。にしても電話は混乱してたいへんであった。

■写真集特集
 せっかくの連休なので夕方から知人と飯&飲。京野菜の店等。…いつも思うが何で司会は私なのかとつねに思いながら焼酎と赤ワイン。手塚治虫の美術館にはじめて足を向ける。
 寄り道ついでに『スタジオ・ヴォイス』の写真集特集を購入。これも「写真集を読む」ものである。普段ならこの手の特集は立ち読みで済ませるところを、日高さんが書いているので購入。いずれ読む。読んだら書く。でももうそろそろこの手の特集は次のステップに進んでもよいと思う。写真集の肌理の違いを均質化してしまう特集に写真の担っている一側面を感じながら写真集を買う人なぞはたしているのだろうか。この特集の反復を見ているとそう感じざるをえない。ガチンコの特集をやってもよいと思う。