際限のないバラのつぼみ

引き続き原稿。今度は『市民ケーン』。
 外と内の参照関係をことさらにあげつらわれてきた映画、この映画は、その参照関係を外の内への折り返しと内の内への折り返しとが交錯して万華鏡のように相互反射しながら、映画の内と映画の外に浸透する欲望を駆り立てながら、欲望を支える構造そのものとともに欲望をも散らしていく。映画内の次元では乱反射する鏡の議論は読んだことがあったが、その外部を含めた当時の社会的欲望までもがここに引き込まれ脱臼させられるというのが面白い。バラのつぼみの中には実は何もない。バラの花びらが際限なく拡がり方向性すら失わせてしまう。スリリングな議論。
 写真の議論でここまでやってみたい。